石敢當から考えるT字路/十字路の神話論とクロスロード伝説

 風水で凶とされる環境の代表例に「T字路などの道路突き当りにある家(路冲殺)」といわれるものがあり、中国風水において路冲殺は「突発的な災い、事故、病気、また精神錯乱」などを引き起こす悪い環境だといわれるものです。(T字路だけではありません。L字路だとかI字路も同じです)

 また、この路冲殺などは中国伝統風水における諸流派のみでなくインド風水バーストゥなどにおいても同じように凶として扱われるもので、いわば「風水」全般において悪いとされる形殺の代表と言ってよいものです。

 そして、沖縄などの一部地域においていまもT字路などの突き当りにそうした悪い影響を軽減する目的で「石敢當(いしがんとう)」を設置する風習があることをご存じの方も多いことでしょう。ですがこの石敢當というものは、調べてみるとT字路だけでなく十字路などにも置かれていたりもするようです。

 実際には中国風水においても十字路なども含めて交差点は重視されるもので、たくさんの技法において交差点からさまざまな意味を読み解きます。

 こうしたことについて日本や世界各地の文化がこうした環境をどう扱ってきたのかを調べてみると、「三つ辻(T字路)、四つ辻というような道の交錯するところそのものを特殊な環境として認識する文化が非常に多い」ことが見えてきました。

 交差点というものは世界中の文化圏で「生者の世界(ウチ)と死者の世界(ソト)を分かつ境界であり、「死者の魂」の影響力が及ぶところ、あるいは(それが生者にとって好ましいものであれ悪いものであれ)霊的な力の及ぶところ」とする見方が多いように思います。

 そんなわけでこの記事では(また風水とは少し離れてるかもですが)交差点というものを日本をはじめとした各文化圏がどのように扱ってきた中で石敢當の役割があるのかという問題と、それに関連するものとしてブルース/ロック界で「十字路の悪魔に魂を売ってギターで大成した」と言われるロバートジョンソンのクロスロード伝説やそれに関連している・・・かもしれない27クラブについて考察をしてみたく思います。

 わたしは中国伝統風水を専門に扱うものですが、この記事は三叉路、十字路など交差点をどのように各国の文化が扱っているのかという問題の個人的考察が主となる悪魔的長文です。

 はしょって概要を書いておきますと・・・

 十字路や三叉路といったものは、多くの文化において集落内と外の世界の境界の地として扱われ、病や災いをもたらす悪魔の住むところ、また神様のような存在に除災や子孫繁栄等を祈願する場所との信仰がある。

 そして、交差点という場所は一定のルール下で願望を叶えてくれる超自然的な存在(あるいは呪術)を示唆する文化が確かにあり、そこには願望を叶える代わりに、その願う者にリスク、もしくは厄災を課すものでもあった。

 そうした呪術的な儀式による成功が噂される例としてはファウストとメフィストフェレスの契約とクロスロード伝説を挙げることができるもので、クロスロード伝説の当事者であるロバートジョンソンは27歳で他界しており、その後にもロック業界においては偉大なミュージシャンが同じ年齢で夭折しているがそれらの噂の実際はもはや判明することのないであろう都市伝説です・・・。

 中国風水はこうした交差点をはじめとした個々の空間が持つ神秘性について解明しようともした理論なのかもしれません。

 というところでしょうか。

 こんな感じの文章ですので風水に関する話のみ読みたい方は各節のタイトルなどを見ながら飛ばし読みして頂くと良いかもしれません。水木しげる先生や民俗学や神話論、あるいは60~70年代あたりのロックがお好きな方は全部読んでいただけたら笑

目次

T字路等の魔物除け・石敢當(いしがんとう/せきかんとう)

ウィキペディア「石敢當」より引用

 沖縄、鹿児島県などの一部に現在も残る風習として、石敢當(いしがんとう、せきかんとう)があります。

 この石敢當は、多くはT字路などの道路突き当りに見られるもので、こうした環境においては住宅に凶を呼び込む魔物が現れやすいとする信仰のもとにあるもので・・・

 こうした道路の突き当りなどに「石敢當」などの文字が刻まれた石碑を設置することでその魔物からの凶を防ぐ意味があるとされるもので、中国の慣習が日本に伝わったものがその由来であるとされます。

 その石敢當についてはウィキペディアに以下の記述があります。

 沖縄県ではその存在意義や効果が未だに根強く信じられており、当地では丁字路や三叉路が多いことから、現在でも沖縄県の各地で新しく作られた大小様々の石敢當を見ることができる。

 これらの地域では、市中を徘徊する魔物「マジムン」は直進する性質を持つため、丁字路や三叉路などの突き当たりにぶつかると向かいの家に入ってきてしまうと信じられている。

 そのため、丁字路や三叉路などの突き当たりに石敢當を設け、魔物の侵入を防ぐ魔よけとする。魔物は石敢當に当たると砕け散るとされる。

                 ーウィキペディア「石敢當」から引用

 ここで見られる「マジムン」は沖縄の言葉で「妖怪」や「悪霊」を指す言葉です。

 このマジムンはどうやら直進しかできないという性質を持つもののようで、多くはT字路の突き当りに石敢當が設置されていることが多いものです。

(ただし、DEE OKINAWAさんなどの記事にもあるように、十字路などにもしばしば設置されているようです)

 またこのマジムンは病や死などを司る魔物というようなイメージが近そうで、この石敢當についてはそうした状況を防ぐためにあるものです。

 沖縄では1万基以上のものがあるとされ、沖縄ラボさんによると今もホームセンターなどで購入ができるようですよ。

 ・・・では、こうした「T字路や十字路から魔物がやってくる」という信仰のもとはどこにあるのでしょうか?

参考HP:ウィキペディア「石敢當」

    読売新聞オンライン「丁字路の突き当たりに「石敢當」…鹿児島などに残る魔除けの風習、新たに設置する住民も」

    沖縄ラボ「「石敢當」って一体ナニ?知れば面白い疑問を徹底調査しました!」

    ウィキペディア「マジムン」

    DEE OKINAWA「石敢當の設置の傾向と対策」

古代日本からの習俗における辻

 こうした三叉路や十字路などの「道路が交差する地点」の古来からの見方を少し調べてみると、平安時代末期成立とされる「今昔物語」に次のような話があります。

 ある身分の低い(下臈の)者が、四つ辻で女に会い、某民部大夫の邸までの道案内を頼まれるが、じつは、その女がその大夫に捨てられた妻の生霊だったと後になって判明する。

 邸につくと、門が閉ざされているのに女は消えてしまい、しばらくすると中で泣き騒ぐ音が聞こえた。

 翌朝尋ねると、家の主人が自分を病にさせていた近江の妻の生霊がとうとう現れた、とわめきたて、まもなく死んだという。

 下臈が、近江までその婦人を尋ねると、御簾越しに謁見をゆるし、確かにそういうことがあったと認め、礼の品などでもてなしたという。

             ーウィキペディア「生霊」から引用

         (今昔物語「近江国の生霊が京に来りて人を殺す話」)

 はじめに書いたように世界の様々な文化圏において交差点は「ウチとソトの境界」の役割を持つ場所だとされており、もちろん日本もその例外ではありません。

 日本の伝統的な文化において、十字路や三叉路などの道の交差する箇所のことを「(つじ)」と呼びます。

 ちなみにこの「辻」という言葉については、辞典などを調べてみるとわかりますがもともとは道路が交差するところ、つまり十字路のことを指す言葉であるとされます。「辻」という漢字一字の成り立ちも「道」や「歩くこと」を示すしんにょうと、「十字」を示す十の組み合わせから成立するもののようですね。

(ただし「三つ辻」という言葉が示すようにそうした原義から外れて「交差点」を指す言葉として使用されているというのが現在の状況かと。)

 また、萩原秀三郎氏の「目で見る民族神 第三巻 境と辻の神」に次のような記述も。

 ツジはサカイと同様に、顕幽(げんゆう)を分つ場所と考えられているから、道の辻に一種の霊威の存在することは認められていた。

 辻占の習俗や赤児の名をつけるのにツジクレといって辻で名をつけてもらう習俗があるのも、そこが霊界との交通の場所と考えられていたからであるという。

 確かに辻は盆竈(ぼんかま)や地蔵盆などの行われる場所であり、精霊との交信にふさわしい場所なのである。

       ー萩原秀三郎「目で見る民族神 第三巻 境と辻の神」P22から引用

 ここではまず日本の文化、慣習において三つ辻、四つ辻などの交差点がどのような役割を担ってきたのかいくつかの例を挙げながら、はじめはここに出てきた「辻占」から見ていきます。

参考HP:ウィキペディア「生霊」

参考書籍:萩原秀三郎「目で見る民族神 第三巻 境と辻の神」

辻占(つじうら)

おわりに/「神様の居場所」と「ありふれたところ」

 ここまでに見てきたものがわたしが交差点について考えていることです。ひいき目ながらこれら見てきた事例や逸話は程度風水のさまざまな理論に合致しているような部分も大きい気がしており、ぼく自身とても興味深く諸々を調べる作業が進みました。

 こうした民俗学や神話のような話も自分は好きですし超自然的な力のすべてを否定するものではありませんが、(幾度も書くように)たとえそれが成功をもたらす可能性が高いものだとしてもこうした呪術的なものをお伝えなどすることはありません。相談を頂いた方にファウストのような最期を迎えていただくわけには参りませんので。

(とはいえこれもしつこいですが、風水で財を求めるすべての技法がこうした呪術的なものに該当するわけではなく、財を求める技法のすべてを否定するわけではなく、自分自身使用しているものも相談の中でお伝えしているものもあります)

 あるいは風水に関しては今後こうした例に「たまたま」適合している例を多数みることができたら考え方は変わるものかもしれませんが・・・それはどれだけ先のことになるものやら。

 また、こうして様々な文化圏でこれだけの共通した話が出てくるとなるとやっぱり路冲殺は嫌だなあ・・・なんてことは思ったりします。風水理論における路冲殺においても、ケースケースの内容によって象意はもちろん全く異なるものではありますが、やはりできるなら避けた方がいいのだろうなと。

 もう一つ、石敢當や八卦鏡、あるいはお札なんかの悪魔よけのアイテムについては、ここに挙げたチベットの例が示すように対処は文化によって変わるものです。

 そのため私は、基本的には自社アイテムを「これしかない」と売る方については私はひとまずは距離を置いてみています。

 たとえば石であれ、八卦鏡であれお札であれ、そうしたものが持つ力をすべて否定などはできるわけがなく、中にはほんとうにすごい力のある方はいるのだとぼく自身信じていますし、そうした神秘的なもののすべてを否定できるわけではないんですけどね。

 それで最後になりますが・・・ギリシャ神話において三叉路を司る女神ヘカテーが存在することは先に述べたとおりですが、ヘカテーのローマ神話名は「ヘカテートリウィア」というもので、トリウィアという言葉はラテン語で「三叉路」を意味します。

 そして「くだらない豆知識」のようなものを意味する「トリビア」についてはこの「どこにでもあるありふれたものである三叉路」が語源になっているとする説があったり。

 それってなんだか、世界の様々な文化圏において「神や悪魔の住む彼岸此岸の境界」として畏れられていた交差点が、デカルトに始まったいわゆる西洋科学の発達とともに「取るに足らないありふれた場所」として矮小化されていった歴史を見るようでとても興味深いなんて思います。

 きっとそれは風水もまた同じ話で、わたし自身は風水を信じる身ですし、交差点というものの重要性は風水の世界の中でとても痛感はしているところですが・・・

 これから30年、あるいは50年後の方たちが三叉路や十字路といったものを語るときの立場はどのようになっているのでしょうか?

 それではこの記事はここまでです。最後まで読んでいただいたあなたに交差点の神様のご加護のあらんことを。

 このサイトでは文化論のようなお話や音楽のお話は残念ながらいまのところ他にありませんが、しいて言うなら文化論に近いものとしてこの記事を楽しんでいただけた方なら「北東鬼門」のお話は面白く思っていただけるかもです。

 他にもわたしの専門は中国伝統風水ですのでいくつか記事を紹介させていただけたら。

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