≪葬祭の多様化に関する私見≫葬送は故人のためか遺族のためか

 先日、アマゾンで購入可能な遺骨の永代供養サービスというものがあることを知りました。

 はじめはアマゾン自体が事業主体なのかと思っていましたが、少し調べてみるとそれは民間事業者がアマゾンのプラットフォーム上で実施するサービスで、概要としてはアマゾンでキットを購入後、事業者から送付される骨壺キットや段ボールなどに遺骨を封入し、遺骨をゆうパックで臨済宗のお寺に送って永代供養を行ってもらい合祀の供養塔に埋葬頂くというもので、サービス利用料は55,000円だとのことでした。

参考リンク:ヤフーニュース「お寺とのやりとりなし!AMAZONだけで完結できる「遺骨永代供養サービス」」

 自分は田舎の出身で以前に父と祖母を送った経験がありますが、過去30年間程度を考えても、もとは親族を集めて親族総出で四十九日までの行事をこなしてそのうえで遺骨を墓地に埋葬してひと段落というようなものであったものが、事業者側のサービスを前提として行う家族葬のような形が増えており、なるだけお金と人的な労力をかけずに簡素化していく社会の流れがあるように感じます。

 無論、人が集まって協力を得て昔ながらの葬儀を行うということはそれだけたくさんの人の労力と時間を使うもので、この多忙な現代生活の中で「人に迷惑をかけぬよう」というのはとてもわかるところですので、昔ながらの葬儀と簡略化された葬儀のどちらが良いのかはわかりません。もっといえば結論はその家それぞれだろうとも。

 ですがこの「葬儀の簡略化」という全体的な傾向はやはり手放しで良いと思うものでもなく。

 加えてこうした葬送の簡素化の流れがあるといえど、中には葬送のためにとてつもないお金をかける方がいることも事実で、「第9運の予測」の記事で少し挙げさせて頂いた宇宙葬などはそうしたものの代表例でしょう。

 この記事はこうした葬送の多様化について、私なりの観点から私のごく個人的な考えを記した雑記文です。

目次

1.文明の発達以前の葬送のこと

ウィキペディア「葬儀」から引用

 イスラエルの歴史学者ユヴァルノアハラリ氏の「サピエンス全史」によれば、それまで狩猟採集によって生活の場を変えながら生きてきた現生人類(ホモサピエンス)は紀元前9500年~8500年頃にトルコ南東部やイラン西部、レヴァント地方、またその他の各地で同時発生的に農耕を始め、定住という選択肢を手に入れたとされています。(※定住の開始時期については諸説あり)

 そしてその農耕により安定的に食料が確保できる体制を整えたことにより集団生活が始まり、それが文明の発達に繋がったのだと。

 ですが、実は人類の故人の葬送の歴史はそれよりも古いと言われます。ナショナルジオグラフィックの記事から2,3の例を引用させて頂きます。

ケニアの洞窟で、約7万8000年前の現生人類(ホモ・サピエンス)の墓が発見された。アフリカで見つかったものとしては最古だ。そこには誰かが注意深く埋葬した2、3歳の子どもの遺体が納められていた。論文は5月5日付けで学術誌「ネイチャー」のオンライン版に発表された。

ナショナルジオグラフィック「アフリカ最古のヒトの墓を発見、被葬者は子ども、7万8000年前」から引用

研究報告によると、ネアンデルタール人たちは故人のために、細心の注意を払って墓穴を掘り、遺体を腐食動物から守っていた。少なくとも5万年前の人類の間に、入念な埋葬の習慣が存在したことが確かめられた。

ナショナルジオグラフィック「ネアンデルタール人の埋葬を改めて確認」から引用

墓地を花で飾る献花は世界中で広く行われている。この慣習の存在を決定づける最古の証拠として、古代の墓地の土から花や茎の痕跡が発見された。 その現場はイスラエル北部カルメル山の洞窟にある、約1万2000年前の墓地。ミントやセージといった香りのある草花が土に還った後、その痕跡が柔らかい泥に刻まれていたのだ。

ナショナルジオグラフィック「墓地に花を飾った最古の例、イスラエルから引用

 これらの事実が示すことは、人が近しい故人の遺体に対して抱く葬送にまつわる特別な感情は集団生活の中での社会的ルールや、文明発達以降の宗教などの体系的な教義などが構築される以前から存在していたということ。

 それっていわば「故人の葬送という行為が人にとって原初的な欲求、あるいは根源的な思考体系の一つ」であることを示唆するものではないかなあと個人的には考えるところです。

 ですが同時にそこから思うことは、社会成熟が進んで社会内における役割の分断、専門化が進む中で故人の葬送というものが「遺族側が自分たちの意思のもとで自分たちが行うもの」から「可能であれば簡素化したい社会的義務であり、金銭を払う対価としてサービスを享受するもの」というような考え方が徐々に増えてきている・・・のかもしれないなあとも。

多様化する葬祭と弔い不足への後悔

現代日本における葬送の(超個人的)分類

 では現代においての一連の「葬送」とは何を指すのだろうかと考えてみたのですが、たとえば現在の日本における葬送は、①葬儀などの式典の扱いをどうするのか、②遺体をどうするのか、最後に③お墓をどうするか(遺骨をどう埋葬するか)という三つの側面から成り立つのではないかとわたしは考えています。

 もう少し具体的に言えば①の葬儀などの問題においては、

特定の宗派における僧侶や神官らを呼んで宗派に基づく供養を伴った葬儀
B宗教的な要素を省略した自力葬、お別れ会など
C葬儀等を行わない
※ここでいうお別れ会のようなものは、いわば「告別式」を指し、一般的な葬儀においては「葬儀・告別式」としてお通夜~葬儀の一連の流れに含まれることが多いかと思います。

 といった選択肢は原則として遺族側の裁量による選択が可能でしょう。

 つぎに②遺体の処理については「墓地、埋葬等に関する法律(墓地埋葬法。下部法令に墓地埋葬法施行令)」というこれらを定める法令の中では火葬は義務ではないながらも、各地方の条例等で扱いを定められているものの中で実際問題として現代日本の生活では火葬以外の選択肢はあまり見込めるものではないのかなと考えているところです。(ただし、日本においても土葬の習慣はかなり長く残っていたもので一部の特殊な例では現在もそうした実例も残っているようです。)

 最後に③埋葬としては以下のような選択肢があるのではないでしょうか。

D公営、民営、宗教施設等の運営する共同墓地内で墓地の貸与を受けて墓石等を建立しそこへ埋葬し、お墓を家族、子孫で管理していく
E永代供養を行い納骨堂等の共同埋葬地へ埋葬し個々の家族によるお墓の管理を行わない
F樹木葬や海洋散骨等の自然葬等
Gその他、自治体から認可を受けて個人墓地等へ埋葬など
※ちなみに自然葬や個人管理地への埋葬に関してはそれを主宰する団体が行政からの許可を得ているケースや、過去からの慣例などにより「みなし墓地」として許可を得ているものなどの他は、墓地埋葬法の規定により個人が墓地運営主体とはなれないため原則として認可は下りないものだと考えているため、正確には自由意志の下で選択ができるというものではないと考えています。

 こうした中で、もともとは寺院などで親族総出の葬儀を行い火葬場に親族で訪れて火葬を行い、地域指定の墓地へ遺骨を埋葬という流れが圧倒的多数派であったものが、現代においては一連の流れが簡略化している現状があり、そうした流れがコロナ禍を経て一層進んだ印象を受けているところです。

 始めに挙げたアマゾンで購入可能な永代供養サービスは③埋葬に関する最も簡素化された形の一つであるかと思いますが、そのサービスを利用される方の多くは葬儀においても簡素なもののみで済ませる方、あるいは実施しない方が多そうだと考えるのは私だけではないでしょう。

葬送の一般的コストと香典について

 こうした葬送の簡略化の背景にはいわゆる人同士のつながりの希薄化と金銭的な問題が大きいのだろうと考えますが、たとえば一般的な葬儀の流れや葬儀を検討する際に注意すべき点やマナーなどについては下記「葬儀と葬式、告別式の違いとは?宗教宗派別の葬儀の意味や費用相場も解説」に詳しいですが、一般的な葬儀の平均費用は191万円程度、家族葬では110万円程度、一日葬、直葬で45万円程度とされています。

 このサイト「みんなが選んだ終活」は葬送に関しての情報がとても豊富ですのでそうしたことを検討される際には確認いただいて良いのではないかと思いますよ。

 たとえばお金をかけてたくさんの人に来てもらって立派に故人を送る葬儀を行ったほうがいいと言ってみたところでこうしたお金の問題が重要であることは言うまでもなく、そうした金銭的な負担を小さくしたい、またもともとが地域的な繋がりの希薄化している現代において、自身のみならず多忙な日々を送る繋がりの薄い親族らの時間を使って協力してもらうことも忍びないという中で葬儀は簡略化の一途をたどっているのだろうと。

 金銭的な問題においては過去から同じ問題は付きまとっていたものを「地域の全体で一個人の葬送にかかる負担を分配する」というものが香典のはじまりであると考えられるものですが、そもそもその地域の結びつきの希薄化がこれだけ進行している中でそうしたものを今後は見込むことも難しい。

 ご参考までに、地域の中での協力を受けられない状態を指す「村八分」という言葉は全体の八割を指す言葉で、その例外の二割は火事と葬儀を指すそうです。つまり村八分のような状態においても火事と葬儀だけは地域を挙げて協力すべきものだというのがもともとの日本社会における共通認識だったということかと。

 また自力葬においては金銭的なコストカットの意味合いはあるにせよ、そこには遺族側が故人の葬送のためにかける人的コストという点においては必ずしも簡略化と言えるものでなく、この簡素化という流れの中では一部異なる流れにあるものと言えるのかもしれません。

簡素化された葬送に後悔する方の増加

 とはいえ・・・こうした葬送の簡素化の裏には、「故人を弔いきれなかった」と後悔に悩む方も多いとのことで、下記の2017年の調査によると葬送について「弔い不足」を感じた経験のある方は実に全体の45%にも上ったのだとか。

NHK「クローズアップ現代ーデータでみる現代の葬儀事情 「きちんと弔えなかった」が半数近く」から引用

 このような弔い不足に悩む方の数はコロナ以降にはさらに増えていそうな気もするところで、そうした後悔に悩む方が「骨葬」という、いわばお葬式のやり直しのようなものをお寺に依頼するケースも増えているのだとのことです。

 もちろんこうした問題は一般化して語るべきところではなく、個々の家族における関係性が最も重要な要素だと考えています。

 わたし自身行政で福祉事務所で業務を行う中で、実の親が逝去された旨を実子に連絡しても「顔も見たくないし私らが葬儀を行うつもりもないし、火葬を行いたくもないし遺骨も観たくない。だから行政で遺骨の処理まで含めてなんとかしてほしい」といった申し出を受けた例は一度二度ではありません。(いわゆる「福祉葬」というものに該当するのかと。)

 またそうした申し出を頂いてもその方らの以前からの経緯を聞く中で「その立場、その過去があれば自分でもそう考えるだろう」と納得してしまうこともしばしばで、家族の絆だなんて耳障りだけ良い言葉を言ったところで実態はほんとうにさまざまであることはある程度は理解をしているつもりです。

(余談ですが「絆」という漢字はもともと「ほだし」と読んでいたもので、その意味は「馬などの動物の自由を制限するためにつないでおく綱。」、つまり「しがらみ」と同じ意味です。しがらみの伴わないきずなはなく、きずなの伴わないしがらみもまた無いということなのでしょうから結局はそのバランスと中身が大事なのかなと。)

 ただ、そうした福祉葬を行った例においても、その後一定の期間を経た後に「以前はああ言ったが、遺骨の埋葬された墓があるなら参って手を合わせたい」、「もし遺骨がまだ残っているなら引き取りたい」といった申し出を受けたこともままあり、人の気持ちや考え方は時間とともに変ることもあるものだとも思います。

 基本的に葬送というものはやり直しのできないものだからこそ、先にある程度はそうしたことを考えておく方が後の後悔に繋がらないのかもしれません。たとえそれは家族関係が希薄な間柄であってそうですし、たとえばふだんは会うことのない親族であってもそうした一人の人間を共に送る機会を経て仲が深まるというのはかつてはよくあることだろうと考えていますし。

 こうしたものを考える中では「死にゆく私が負担をかけたくない」という本人の気持ちと、「身近な故人をきちんと弔ってあげたい」という遺族側、知人側の気持ちの交錯するところにあるものなのでしょう。

「陰宅風水」(お墓の風水)について(ただし私は扱えません)

張玉正風水網「名人風水」から引用

陰宅風水(お墓の風水)について

  そうして葬送について考える中で、わたしが扱わせて頂いている風水というものの源流は、「祖先信仰のためのお墓(陰宅といいます)をどのような場所に祀るかによって、好ましい影響を子孫に及ぼす」ことの研究にあるとされます。

 つまり本サイトで紹介させていただいている住宅などを見るための風水技法以前に、「王族らの墓をどのような土地にどのように造ればその子孫たる現王が恩恵を受けることができるのか」という研究がなされていたということで、それはつまり「お墓の風水というものに代々の王族が満足するだけの結果が見込まれたからこそ一般の住宅を観るための風水技法が発達した」と考えることができるものです。

 先日、佳子さまが昭和天皇のお墓である武蔵陵墓地を参拝されている映像をニュースで拝見しました。この武蔵稜墓地においても、どのような経緯でこのお墓の建立に至ったのかは私にはわかりませんがその外観を見る限り風水思想の影響を受けているのではないだろうかと考えるところです。

 このサイトは主に風水や四柱推命などを扱うものでお墓に関する記載などはこの記事のみとなります。

 たとえば家相でいうところの「鬼門」というものは中国風水では扱うものでなく、以下の記事にわたしの鬼門に関する知識は紹介させていただいているところです。

 それらの記事も含め、風水等にも興味を持っていただけるのであれば別の記事も見てみて頂けたらうれしく思いますよ。

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